今日もやさ理と物理と化学をやりました。やさ理はほぼ全例題が完璧になりました。あとは何回か繰り返して完全定着させるだけです。物理は波動と電磁気をやりました。公式の導出に重点をおいた勉強をし、本質理解に努めています。化学は覚えるところを覚えていっている感じです。
ところで、人間に自由意志ってあると思いますか。
「あるに決まってるじゃん」と答える人がけっこういるはずです(もちろんNOと言う人もたくさんいますが)。
が、もっとミクロな視点にたてば、自由意志など存在しないとわかります。
これは東大卒業生の方のブログなのですが、とてもわかりやすく自由意志がないということを説明してくれていますので、自由意志が存在しないとは夢にも思わなかった方は見てみましょう。ちなみにこのブログ主さんは東大物理化学を満点近く取っていて勉強法も参考になるので、おすすめです(東大理系受験生なら読んでいるとは思うが)。
で、問題はここからです(これまでは前置き)。
先ほどのブログにもありましたように、自由意志がないと、社会の倫理が崩壊するのではないか、という問題です。自由意志がないなら、責任はどうなるのか、懲罰はどうするのか、そういうことが問題になります。
僕としては、今のままでいいのではないかと思います。
なぜなら、刑事罰を与えることには、犯罪抑止効果があり、また再発防止にもつながるからです(当たり前のような答えですが)。
自由意志がないということは、犯罪をするというのはある意味で仕方ないと捉えることができます。が、もし刑法がなくなったとして、それが、ある人間の「意識」に犯罪実行の考えを植え付け実行させることになるのだとしたらどうでしょう。自由意志がない人に対して罰を与えることの不当さよりも、犯罪が横行することの方がマイナスになるはずです。最大多数の最大幸福という観点からいって、刑法はあった方がよろしいのです。
また、犯罪をした人間を更生させるという点でも、刑罰はいいです。これも最大多数の最大幸福の考えからわかります(この考え自体が脆弱だと元も子もないわけだが)。
こうしてみると今の法律は、更生する可能性の高い子供は殺人をしても罪を問われませんし、反省の度合いによって罪の重さが変わるし、といったところからいって、なかなかいいのではないかと思います。でも死刑は犯罪抑止効果があるとは実証されていないみたいなので、僕の意見としては無くなっていいのではないかと思います(自由意志がない人間に対して「死で償え」と言うのはあまりにもかわいそう)(もちろん被害者の親族の気持ちもあるわけなので、難しいところではありますが)。
と、ここまで自由意志のない人間への懲罰について語ってきたわけですが、責任についてはどうなるでしょうか。僕の意見としては、責任はもちろん存在するけれども、責任を問うというのはナンセンスだと思います。責任を問うというよりも、いかに治安を良くするか、ということにシフトするべきです(まあでも、結局のところやることは変わらないんですけどね)。理由は、責任はあったとしても、自由意志のない人間にとっては仕方のないことだから、責任を問うことはできないというわけです。
そんなわけで、人間は自由意志がないけど、だからといって社会が混乱することはないよ、というお話でした。めでたしめでたし。
ところで、昨日のアンケートでこのブログでのアンケートをどうして欲しいか聞いたところ、「いつものように毎日続けて欲しい」に2票入るという結果になりました!
嬉しいです。ありがとうございます。
実のところアンケートが嫌われ始めているのではないかとビクビクしていたのですが、そんなことはなかったようなので、とても良かったです。
では、最後にアンケート。最近アンケートの方向性を見失ってきていた気がするので。
人に法律が必要になったら、もはや人は自由というものに適さない。
ピタゴラス
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